院長の日記
美しいの定義とは①
外見の「見た目」に並々ならぬこだわりを持っている人は多いのではないだろうか。
全く自分の外見に興味のない人を除くと少なからず「美しくなりたい」と思っているはずである。
では「美しい」とは何だろうか?
こころが美しいなど見えないもので定義するのは難しいが、外見という見えるものだと共通認識を持ちやすく、モデルや俳優など好みはあれど美しいと思われている人が多いのはそのせいである。
美容鍼を得意とする私の元にも「美しさ」を求めて多くの方が通ってくれている。
5年ほど前、目鼻立ちのはっきりしたいわゆる美人の方がご来院された。
始めに驚いたのは歌舞伎の隈取かクレオパトラと思うほどぐるぐるに黒のアイラインでメイクをされていたことである。
すっぴんはさぞお綺麗だろうにと率直に感じた。
話を伺うと、そのメイクをしないと目がぼけて見えて落ち着かないとの事。
クッキリ二重で切れ長の欧米人風の誰もが憧れるであろうその目がである。
1つ1つ外見の悩みを聞いていくと、驚いたことに私が見ている彼女の顔と彼女が見ている自分の顔が一致しないのである。
心療内科的に言うと何かしら病名を付けられそうであるが、もちろん病気ではない。
彼女は気弱な性格や環境要因でのストレスのせいで自信を失い、本来の自分の姿を捉えられていない。
そしてその弱い自分を守るために濃いメイクをして安心を得ていたことが想像できた。
その後、彼女は弱い自分も、他人のせいにしてきた不幸も自分で作り上げてきたものだと少しずつ受け止める様になっていき、今現在は自分に合ったメイクで優しい表情をしている。
そもそも「美しさの定義」なんて個人の匙加減一つである。
濃いメイクをして仮面をかぶっていた強そうな彼女と、ナチュラルメイクの優しい表情の彼女とどちらが美しいかなんて問題ではない。
どちらが「幸せか」が大事であると私は考える。